
主に伝統芸能のハナシの回
こんにちは!
最近、前職でお世話になった人に「老けた?」と言われて奥歯をかみしめた、売買部の佐々井です。
3文字の威力たるや…それはそれとして、転職を機に業種も職種も未経験でソソグー不動産に入社し、来月で丁度1年を迎えます。「1年目です!」と言ってなにかにつけて保険をかけ、教えを乞うた1年でした。
何かを始める時には大抵「初心忘るべからず」という自戒が頭によぎりますーーー実行できるかどうかは別として。
この時思い浮かべる「初心」とは、最初の新鮮な気持ちやキリっとした姿勢のことだろうと思いますが、慣れて疎かになってしまわないように、という気持ちで使いますよね。目標としてはありきたりですが、ありきたりになるだけあって、当然に大事なことだと思います。
これとは別に、「初心」の別の角度からの見方をひとつ。
今から600年前、能楽の大成者である世阿弥の残した「初心忘るべからず」はひと味違います。
能は日本の伝統芸能のひとつですが、元々は中国大陸から伝わってきた物真似芸から、猿楽や田楽として大衆に親しまれていたものを、観阿弥・世阿弥親子が足利義満の庇護下で能という荘厳な芸術に発展させたものです。猿楽なんかは本来ゲラゲラ笑える芸能なんですが、現代っ子の私は「なるほどこういう表現になるのか」と妙に納得してしまいます。私が普段している馬鹿話も、未来の価値観では感心されてしまうものになったり…しませんが、とにかく世阿弥さんは現在も残る日本の伝統芸能を大成したすごい人です。
この人がいう「初心」は「未熟な状態」を指しており、必ずしも物事を始めた時点のみを指すものではありません。正解や成功のみならず、過ちや間違った道を可能性として捉え、それを心に留めることで広い視野を持って柔軟な対応につなげてゆく、というのが世阿弥の「初心忘るべからず」なのです。
過去の1日や過去の1カ月など時間軸の一点のみをふと思い出すのではない、正誤や方法を知る前の、未熟で可能性を持った過去の、あるいは未来の自分を自覚することが、ある意味今の自分を形成していると言えます。
「老けた?」などというコメントに敏感な大人になった私にもぴったりな捉え方で、今こそこの意味を噛みしめてこれも真理だなあと感じます。
私が不動産にかかわったこの1年間、各方面から沢山教えていただいておりますが、正味上澄みを舐めた程度なのかもしれません。
これまでもこれからも想像もつかない数の可能性があるとすれば、まだまだ初心です。今後も上司や先輩に教わりながら、反省を活かしてたくさんご提案できるしゃかりきな営業マンを目指します。
…さて、可能性の多さと言えば、弊社の売物件のご提案はもちろん、融資やコンサルティングのご相談も承っております!いつの時代も大衆文化が大好きな佐々井がおしゃべりします。長い目でお付き合い…お気軽にご相談いただけますと幸いです!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。